仏教の医と医薬
現代では「医薬」が仏教から独立し、医と薬も分業される時代となりましたが、医も薬も仏教と深い係わりを持ってまいりました。
古代インドでは五明(ごみょう)と言って、必要な学問を五種①声明(しょうみょう)、②工巧明 (くぎょうみょう)、③医方明(いほうみょう)、④因明(いんみょう)、⑤内明(ないみょう)に分けておりましたが、仏教はこれらの五明をそのまま引き継ぎ、中国や日本の寺院でも、これらを学ばせてきました。学問寺と称される大寺には医学部(医方明を学ぶ部所)を設置しているところが多かったという歴史的事実がこれを物語っています。
医とは病を治療することですが、身体の病ばかりではなく、無明や煩悩に犯された衆生の心をいやすという部分を忘れてはなりません。
お釈迦様は法という薬を与えて心の病をなおされたことから、お釈迦様を医者に喩(たと)えて医王如来などとも言います。薬師如来はお釈迦様が五如来と展開して、更に慈悲を具象化した仏となられたもので、病気を治し安楽を得させる有難い仏様です。
仏様が医者に喩えられるものとして、法華経にこんなお話が載っております。ある良医の子供達が毒を飲んで苦しんでいた時、父でもある医者は子に良薬を与えました。そのおかげで子供達は助かったのですが、この場合、医者とは仏様のこと、子供達は衆生、毒は邪教で良薬は法華経だそうです。この子供達は、素直に良薬として教えを頂き心や病の処方箋を実践するが如く受け入れた。
私達も素直になって、仏様の処方箋に従う薬を服用し、無明や煩悩の苦から速やかに脱したいものです。
まさに仏教は現代医薬の出発点であり、その在り方は医のあり方と同じと言えるでしょう。
山主合掌
年間行事は一般県市民どなたでも法要に参列できます
令和四年みんなの寺
参拝できる観音寺年間行事案内
- 一月 一日 午前八時
- 修証会祈祷
御祈祷、家内安全、無病息災を祈る法要 - 一月 十八日 午後三時
- 初観音祈祷法要並びに戦没者供養
- 二月 二十七日 午後三時
- 観音祈祷法要並びに戦没者供養
- 三月 二十一日 午後三時
- 春彼岸法要
先祖への報恩の実践と追善供養します - 三月 二十七日 午後三時
- 観音祈祷法要並びに戦没者供養
- 四月 六日 午後三時、五時
- 清明祭(シーミー)
本堂での先祖の供養、観音寺永代供養墓 - 四月 二十四日 午後三時
- 観音祈祷法要並びに戦没者供養
- 五月 二十七日 午後三時
- 観音祈祷法要並びに戦没者供養
- 六月 二十三日 午後三時
- 慰霊供養
- 六月 二十六日 午後三時
- 観音祈祷法要並びに戦没者供養
- 七月 二十四日 午後三時
- 一周年記念
落慶法要並びに住職就任式 - 八月 十一日 午後三時
- 盆供養法要
- 八月 十四日
- 旗スガシー 中止予定
エイサー出発の祈祷で、地域の発展と無病息災を祈ります - 八月 十四日
- 上地観音供養
尚王家と上地丑根(ウシニー)門中報恩供養 - 八月 二十八日 午後三時
- 観音祈祷法要並びに戦没者供養
- 九月 七日 午後三時
- 大祈祷会戦没者慰霊大法要
- 九月 二十三日 午後三時
- 秋彼岸法要
- 九月 二十五日 午後三時
- 観音祈祷法要並びに戦没者供養
- 十月 二十三日 午後三時
- 観音祈祷法要並びに戦没者供養
- 十一月二十七日 午後三時
- 観音祈祷法要並びに戦没者供養
- 十二月 十八日 午後三時
- 観音年越法要並びに戦没者供養
ブッダがせんせい
心を育てる こども仏教塾
心がきれいな人に、
なれるかなれないかは、
ぜんぶ自分しだいなんだ
みずから悪いことをすれば、みずからを汚すことになる。みずから悪いことをしなければ、みずからを浄めることになる。きれいとか汚いとかいうものは、各自のことがらであり、人が他人を浄めることなどできないのです。
『ダンマパダ』 一六五より
心をよごすのはだれ?
教室や、きみのへやがよごれても、だれかがそうじしてくれたら、きれいになるよね。きみが何もしなくても、そうじしてくれる人がいればだいじょうぶだ。でも、きみの心は、だれもそうじしてくれません。もともと心はきれいですが、きみがもし、わるいことをしたら、きみの心はよごれてしまいます。わるいことをつづけたら、どんどんよごれていきます。だれもそうじしてくれないので、よごれっぱなしです。心をよごしたくないなら、わるいことはしないこと。よごれた心をきれいにしたいなら、わるいことをせずに、いいことをたくさんすることです。
次回に続く
〈保護者の方へ〉
心をきれいに保つのも汚すのも、すべて自分次第なのだということ。うそをついたり、他人の心を傷つけるような悪いことをしてしまたら心は汚れます。悪いことをせず、人のためになるようないいことをたくさんすれば、心は浄められます。汚れたままの心では幸福にはなれないことをブッダは教えています。だれのせいでもなく、自分の行いが全部自分にはね返ってくることをあらためて伝えましょう。
「御詠歌」 三宝御和讃
- 心の闇を照らします いとも尊きみ仏の
誓願を冀うものはみな 南無帰依仏と唱えよや - 憂き世の波を乗り越えて 浄きめぐみにゆく法の
船に棹さすものはみな 南無帰依法と唱えよや - 悟りの岸にわたるべき 道を伝えしもろもろの
僧伽に頼るものはみな 南無帰依僧と唱えよや
三宝のおしえ 大意
- 迷いや悩みの中で生きる私たちは、み仏さまの誓願を信じ、み仏さまの教えにかなった生き方をしようと発心し、「南無帰依仏」と一心に唱えましょう。
- 人生の荒波の中を生きていく私たちは、その荒波に向かってみ仏さまの教えを拠りどころとして生きていこうと決意し、「南無帰依法」と一心に唱えましょう。
- み仏さまの教えに照らした暮しをし、平穏な心を育むべく、私たちは、仏道という同じ道を歩むなかまを信じ、「南無帰依僧」と一心に唱えましょう。
となります。
考えてみますと、私たちが仏さまや神さまを信仰する、あるいは先祖供養する、といった敬虔な心は、私たちが仏法のおかげで「今生きている」という思いと感謝の心から生じているのではないでしょうか。「よりよく生きる」「共に生きる」という願いが家族への思いやり、社会への思いやり、広く人類への思いやりへと広がって行くべきものと思います。その願いを実現しようとするのが、お釈迦さまの教え、仏教です。
歌詞の中にある「南無帰依」とは、庇護を求めること、頼りにすることという絶対的な信への深さを表します。
第一は仏さま。第二の法とは、仏さまの説かれたみ教え。第三の僧とは、仏さまのみ教えにしたがって、仏教徒として生活する仲間のことをいいますと同時に、信仰の対象となる僧伽の一員として、私たちはどうあるべきか、どう生きるべきかという、自分自身の在り方が問われていることも忘れてはなりません。
それは一番の歌詞に「請願を冀うものはみな」とあるように、私たちが戒を受けて仏道修行できるのは、ひとえに仏の誓願によるものであるということからなのです。
観音寺では、「御詠歌」(詠讃歌)を毎月第四日曜日午後七時より教えております。詠讃歌をお唱えしてご自宅の仏壇でご先祖のご供養ができます。
申し込み 電話090-5595-7894 担当実佑
シリーズ うちなーの行事
すすはらい
新しい年を迎えるにあたり、これまでの厄を祓い落すという意味があります。旧暦の十二月二十四日が「御解御願(ウフドチウグヮン)」です、これに合わせてきれいに浄め祓い、年神さまをお迎えする準備をします。また、正月三が日は、できるだけ家の内から品物を外に出したり物の貸し借りはしない、掃除もできるだけ避ける習慣がありますが、これは正月三が日は、年神様によって一年分の福運、徳運が家いっぱいに撒(ま)かれているので、その福を外に出してしまわないようにという言い伝えからです。
門松
門松は、年神さまが家へ尋ね入るにあたっての目印だとされています。
門に一対の門松を立てますが、正面から見て左側に雄松、右側に雌松がくるように飾ります。門松は竹を真ん中に三本立て、周囲を松や梅などをあしらい、むしろを包み縄で縛ったものが正式ですが、現在松の枝に水引などを結んで門や玄関に打ち付けるものもみられるようになりました。
また、門松は十二月二十七日、二十八日ごろ立てて準備しますが、二十九日は「苦立て」といい、大晦日に立てると「一夜飾り」といって嫌う習慣があります。
鏡餅
古来より、「鏡」には魂が宿るものだと信じられてきました。鏡餅の餅が丸いのは、鏡のかたちに由来する、あるいは人間の心臓の形を表している、と言われています。また、大小二つの餅を重ねているのは「円満に年を重ねる」「縁起がいい」という意味が込められています。
そして、日本人にとって「稲」は特別なものでした。稲は一年という長い月日と労力をかけて育てられます。だからこそ、毎年一回ずつ収穫される新しいお米を食べることで、生命力を得られるとされてきました。そんなお米をついて固めた「餅」は、生命力を倍増させるものとして特に重要視されてきたのです。このように、新しい年に良い縁を運んでくる年神様に入っていただくための相応しい器(依り代)として「鏡餅」が親しまれてきました。
御花米(みはなぐみ)の飾り方
沖縄に古くから伝わる正月飾りで、鏡餅と同じ意味があります。
まず、重箱を三段重ね、のし紙の上にお米を入れ炭と昆布をのし紙で巻いて米の中央に飾り立てます。
正月のかまど飾り
かまど(台所)の上に竹を横に吊り下げます。それに炭と昆布、みかんを飾り付け中央に吊り、その左右に葉のついたにんにく、人参、大根と芋を飾り、甲イカ、タコ、スーチカー、干物なども飾ると良いです。
正月飾りの中心は床の間
基本的な飾り方を紹介します。お正月の部屋飾りは床の間が中心となります。正月にふさわしいめでたい掛け軸を掛け、正面に鏡餅を置き四方紅(しほうべに)を敷きましょう。その上に、紙垂(しで)、裏白(うらじろ)、譲り葉と重ねていきます。鏡餅をのせたら、昆布や橙で飾ります。飾りには縁起の良いものが選ばれるので、串柿、勝栗など家や地方によって特色がみられます。
それぞれの飾り物には正月飾りにふさわしく、次のような意味が込められています。
名称 | 祈願・意味するもの |
---|---|
四方紅 (しほうべに) |
四方からの災いを退ける |
裏白(うらじろ) | 長寿、末永い繁栄 |
譲り葉 (ゆずりは) |
家督相続、家系の存続 |
御幣(ごべい) | 魔よけ、繁栄 |
橙(だいだい) | 代々の子孫繁栄 |
昆布 | よろ「こぶ」、子孫繁栄 |
串柿 | 日本の三種の神器をあらわす(「鏡:鏡餅、玉:橙、剣:串柿」) |
「家族の繁栄」「災いをはらう」「長生きをする」という願いが、今も昔も変わらない共通の想いなのです。
ブッダが教えるラクな生き方
何事にも動じずに凛とする
心の平穏が幸せにつながる
同じ出来事に遭遇しても、怒る人もいれば、怒らない人もいます。ラクな生き方ができる人は、心が穏やかなので、簡単に怒りに振り回されないようになります。ブッダは、そのような態度を深い湖に喩えました。
『LINE』はじめました
左のQRコードから、みんなの寺沖縄観音寺広報『みんなの寺便り』『ホームページ』『YouTube』を見る事ができます。
みんなの寺便り
ホームページ
YouTube
LINE登録して法話配信を受け取って下さい。仏教の本当の情報を知りましょう。
「みんなの寺だより」は、次号よりLINEにて配信いたします。QRコードよりご登録してください。
今年のあなたの運勢は?
今年の干支「壬寅(みづのえとら)」は、「陽気を孕(はら)み、春の胎動(たいどう)を助(たす)く」、冬が厳しいほど春の芽吹きは生命力に溢れ、華々しく生まれることを表している。
また「寅」は、もともとは、引っ張るや伸ばすといった意味で使われていたが、矢が放たれる準備段階を示していることから、「動き始め、胎動」といった意味が派生した。つまり、「壬」陽気を孕み厳冬を耐え、「寅」春の胎動を、本質的な実力を養いながら、何事にも好奇心を持ってポジティブに進めば、華々しい成果が期待できる、希望にあふれる年になるといわれています。
坐禅会
坐禅終了後、心の依り所として和尚様と一緒にお茶を頂き、法話を聞いて楽しく茶話会を過ごしています。また、坐禅には、
①集中力を高める、
②ストレスを解消し心が穏やかになる、
③洞察力を高め、直観力を高める、
④思いやりが育まれ人間関係が良くなる、
⑤眠りの質が上がり幸福感を覚える、
⑥自分に自信が生まれる、などに影響があるといわれています。
坐禅の体験をしてみませんか。
日時 毎週土曜日 午後七時半より
場所 沖縄市 みんなの寺観音寺
連絡先 090-2589-0951
救済型永代供養墓(個別・合祀)
宗旨・宗派不問
管理費・永代供養料込み
内容等は、お問合せ・ご相談下さい。
みんなの寺観音寺
沖縄市上地四丁目十三‐七
電話 098-932-7510
携帯090-2589-0951
住職 島袋善照