仏教が語る「苦楽一如」の考え方

更新日:2026年2月25日

仏教が語る「苦楽一如」の考え方|悩み解決と不動心の智慧|沖縄 観音寺

仏教が語る「苦楽一如」の考え方:格闘家の禅僧が解き明かす、人生の表裏を愛でる極意

あなたは今、人生の苦しみに打ちひしがれ、「いつになったら楽しみが訪れるのか」と溜息をついていませんか。あるいは、今の幸せが消えることを恐れてはいませんか。総合格闘技の武道を極め、禅の修行に身を置く私、道慶が、苦しみと楽しみを切り離さず、ありのままを受け入れる「苦楽一如(くらくいちにょ)」の智慧について語ります。

はじめに:苦しみと楽しみは、同じメダルの表と裏

「苦しいことばかりで、ちっとも楽しくない」。沖縄市 観音寺の境内で座禅(坐禅)の指導をしていると、こうした二元論的な悩みに苦しむ方々と出会います。現代社会は「苦しみを排除し、楽しみだけを手に入れよう」と教えてきますが、その「分ける心」こそが、実は私たちの首を絞めているのです。

  • 苦しみを「悪」として避けようとするあまり、緊張と不安が絶えない状態
  • 楽しみを「善」として執着し、それが過ぎ去ることを過度に恐れる悩み

私自身、沖縄市 観音寺にて禅を追求し、同時に総合格闘技の武道を極めてきた道慶(大畑慶高)と申します。私はかつて、金網に囲まれたケージの中で、肉体が悲鳴を上げるほどの「苦」と、勝利の瞬間に突き抜ける「楽」の両方を極限まで味わいました。生死を分けるコンマ数秒の世界。そこで私が知ったのは、苦しみがあるから楽しみが際立つという単純な話ではなく、苦しみと楽しみは最初から一体(一如)であるという真実でした。この記事では、仏教の智慧と武道の身体知を融合させ、あなたの人生を真の意味で自由にする「苦楽一如」の境地を紐解いていきます。

第一章:仏教の教え:二元論を超越する「不二(ふに)」の智慧

仏教には、相反するように見える二つの事柄も、根源的には一つであるという「不二(ふに)」という考え方があります。

1. 苦楽一如の真意:分けない心の豊かさ

「苦楽一如」とは、苦しみと楽しみは一つの如し(同じである)という意味です。私たちは「快楽」を追いかけ、「苦痛」を遠ざけようとしますが、禅の視点では、そのどちらも「心の波立ち」に過ぎません。波が高い(楽)ときもあれば、低い(苦)ときもある。しかし、海そのものは常に一つです。苦しみの最中に楽しみの芽を見出し、楽しみの最中に謙虚な規律を持つ。この「分けない在り方」が、あなたの心に揺るぎない平安(安心)をもたらします。

2. 「受」を調える:状況をジャッジしない

仏教では、外界からの刺激を心がどう受け止めるかを「受(じゅ)」と呼びます。多くの人は、出来事に対して即座に「これは苦だ」「これは楽だ」とラベルを貼り、反応してしまいます。座禅の修行は、このラベル貼りをやめ、起きたことをただ「起きたこと」として丸ごと受け入れる練習です。ジャッジをやめたとき、苦しみはあなたを壊す力(暴力)ではなく、あなたを磨く砥石へと変わります。

第二章:道慶の武道観:格闘技のケージで学んだ「苦の神髄」

厳しい稽古、減量の苦しみ、試合中の痛み。それらの中にこそ、真の悦びが隠されていました。

1. 限界の先にある「静寂の楽」

総合格闘技の稽古は、文字通り「苦」の連続です。心拍数が上がり、呼吸が困難になる。しかし、その限界を超えたとき、意識は極限まで研ぎ澄まされ、自分と世界が一体となるような深い静寂が訪れます。これを武道では「三昧(ざんまい)」と呼ぶこともあります。肉体的な苦痛の頂点において、精神的な至福が訪れる。この体験は、まさに苦楽が表裏一体であることを教えてくれました。苦しみを拒絶せず、そこへ飛び込んでいく覚悟が、真の自由(楽)を連れてくるのです。

2. 抜力(ばつりょく):苦しみを力に変えない

格闘技において、痛みを「嫌だ」と拒絶し、身体を固めると、その痛み(苦)は増幅されます。最も強いのは、痛みを受け入れ、全身の力を抜く(抜力)状態です。人生の苦境も同じです。苦しみを力でねじ伏せようとせず、しなやかに寄り添う。苦しみと戦うのではなく、苦しみと「共にある」ことで、心は折れることなく、むしろその経験を糧にして再生します。このしなやかさこそが、格闘家禅僧の不動心です。

第三章:日常に活かすヒント:人生を調律する三つの「観音寺流」実践

観音寺の境内に立てない日でも、あなたの日常を「苦楽一如」の修行場に変えることができます。

1. 日常実践のヒント1:感情の「丸ごと受け入れ」

嫌なことが起きたとき、無理にポジティブになろうとしないでください。まずは「ああ、今自分は苦しんでいるな、嫌な気分だな」と、その感情を否定せず、そのまま受け止めます。禅の「正念(しょうねん)」です。苦しみを認め、それと共にあることを許したとき、不思議なことにその「苦」は少しずつ柔らかくなり、あなたの内側の深みへと変わっていきます。

2. 日常実践のヒント2:小さな「苦」をスパイスにする

あえて不便なことをしてみたり、少し厳しい環境に身を置いてみたりしてください。禅僧が冷たい水で顔を洗うように、意識的に「苦」を体験することで、その後の「楽」への感度が高まります。冬の寒さを知るからこそ、春の暖かさが骨身に沁みる。日常に程よい「規律(小さな苦)」を取り入れることで、人生全体の彩りが鮮やかになります。

3. 日常実践のヒント3:なんくるないさの「全機(ぜんき)」

沖縄の「なんくるないさ」は、本来「真(まくとぅ)そーけー、なんくるないさ」、つまり「誠実に今を生き切れば、あとは天が計らってくれる」という意味です。苦しい時も楽しい時も、その一瞬に全生命を乗せて(全機)生きる。結果に一喜一憂せず、ただ「今」というリングに誠実に立ち続ける。その潔い在り方が、苦楽を超えた真の安らぎをもたらします。

第四章:【実践編】観音寺流:苦楽を統合する座禅三ステップ

当寺の座禅会で実際にお伝えしている、思考の対立を鎮め、内なる静寂を呼び覚ますための具体的な身体操作です。

ステップ1:垂直の軸を立て、形を定める(調身)

椅子に座っていても構いません。背骨を真っ直ぐに立て、重心を丹田に落とします。物理的な垂直の軸を立てることは、幸運・不運といった時間の水平線から離れ、純粋な「今」に自分を固定することを意味します。格闘家が「構え」を整えるように、あなたの存在の形を確定させてください。

ステップ2:呼吸と共に「分け隔て」を捨てる(調息)

鼻から細く長く息を吐き出します。禅では「吐くこと」を重視します。自分の中にある「苦は嫌だ」「楽が欲しい」という偏った思いを、吐く息と共に沖縄の大地へ還します。吐き切ったあとに自然と入ってくる空気は、苦楽を超えた大いなる恵みです。この循環を意識するだけで、あなたの生命は一つに調和されます。

ステップ3:半眼の微笑(調心)

目は閉じず、一メートル先に視線を落とします。口角をわずかに上げます。これは、苦楽の両方を優しく包み込む慈悲の表情です。浮かんでくる思考をジャッジせず、ただ流れる雲を眺めるように放置する。格闘技で相手を俯瞰する「遠山の目」と同じです。雑念が消えたあとの静寂の中に、苦楽一如の真理が宿っています。

第五章:道慶の総括:沖縄の自然と再生のエネルギー

ここ沖縄市 観音寺の境内を歩くと、猛烈な生命力を持つガジュマルの木に圧倒されます。ガジュマルは台風で枝が折れる「苦」を経験しても、そこから新しい「気根」を降ろし、さらに強固な姿へと生まれ変わる「楽(再生)」を体現しています。沖縄の自然は「苦楽は切り離せない循環である」ことを教えてくれます。

苦楽一如の考え方とは、苦しみを我慢することではありません。苦しみのど真ん中にいながら、同時にその瞬間を味わい、自分の魂の成長を喜ぶ強さのことです。私自身の修行時代、格闘技のケージの中でも、観音寺での読経の中でも、苦しみから逃げるのをやめたときに初めて、真の強さが手に入りました。「人生は、苦楽が混ざり合っているからこそ、これほどまでに美しい」ということに。

沖縄には葬儀(葬儀 沖縄)や法事(法事 沖縄)を通じて、別れの苦しみを命の尊さという喜びに変える文化が深く根付いています。供養の時間は、究極の「苦楽一如」を学ぶ聖なる機会です。独りで悩まず、観音寺のガジュマルのようにどっしりと、沖縄の空のように広く、しなやかな心で今日を歩んでください。

まとめ:苦楽を調えれば、あなたの人生は真に自由になる

苦楽一如の智慧は、日々の「姿勢」と「呼吸」を調え、執着を手放すことで、誰にでも磨くことができる「魂の技術」です。強がりの鎧を脱ぎ捨て、深い呼吸を取り戻し、本来のあなたに備わっている穏やかさを取り戻してください。仏教の智慧と武道の強さは、常にあなたの背中を支えています。

  • 不二:苦しみと楽しみを分けるのをやめ、一つの人生として受け入れる。
  • 抜力:力みを捨て、苦境にさえもしなやかに寄り添う。
  • 再生:沖縄のエネルギーを吸収し、苦難を糧に新しい自分として立ち上がる。

「あなたが今日、背筋を伸ばし、深く息を吐き出して目の前の苦悩に微笑んだなら。その瞬間に、あなたの人生というリングには、揺るぎない平和の光が満ち溢れています。」

人生という激しいリングにおいて、最も強いのは、勝利(楽)だけを求める者ではなく、敗北(苦)さえも自分の力に変えられる者です。

もし、苦しみに押しつぶされそうになったり、心の軸を調えたいときは、いつでも沖縄市 観音寺の門を叩いてください。総合格闘技の武道を歩んできた私、道慶が、あなたの身体と心の波長を調え、内なる平安を取り戻すお手伝いをさせていただきます。共に座り、潮風に吹かれながら、真の自由を分かち合いましょう。合掌

著者・道慶氏の写真
沖縄市観音寺

道慶(大畑慶高)