無常を受け入れると楽になる理由

更新日:2025年12月24日

無常を受け入れると楽になる理由|沖縄 観音寺

無常を受け入れると楽になる理由

なぜ、私たちは変わることをこれほどまでに恐れるのでしょうか。武道家であり禅を追求する道慶が、諸行無常を受け入れ、移ろう世界で不動の安心を見つける智慧を紐解きます。

はじめに:なぜ、私たちは「変わること」をこれほどまでに恐れるのでしょうか?

今の幸せがずっと続いてほしい。若さを失いたくない、老いたくない。大切に築き上げてきたものが壊れるのが怖い。沖縄市観音寺で皆さんの悩みをお聞きしていると、その根底にあるのは常に、形あるものが変化していくことへの恐怖や、変わっていく現実を認められない抵抗であることに気づかされます。

  • 永遠に続く宝物であるかのような錯覚
  • 期待を裏切る現実とのギャップが生む苦しみ

私自身、沖縄市観音寺にて禅の修行に励み、同時に武道家(総合格闘技の武道)として、一瞬たりとも同じ状態に留まらない生死の境目を追求してきた道慶(大畑慶高)と申します。武道の戦いにおいて、前の瞬間の成功に囚われたり、次の瞬間の不安を抱いたりした者は、即座に隙を突かれます。本当に自由で楽な境地とは、この世界が無常であることを完全に受け入れ、その流れと同化した瞬間に訪れます。この文章では、仏教の根本真理である諸行無常(しょぎょうむじょう)をどう人生に活かすかをお伝えします。

第一章:仏教の教え:無常こそが宇宙の真実であり、救いである

仏教の視点では、無常は儚いだけでなく、苦しみから脱却し新しい自分へと生まれ変わるための希望の真理でもあります。

1. 常(じょう)という幻想が苦しみを生む

仏教の開祖、お釈迦様が悟られた真理の第一は、諸行無常(しょぎょうむじょう)です。この世のすべての現象は、一刻も休まず変化し続けており、永遠に変わらないものは一つもないという冷徹な事実です。私たちは、この真理に反して、物事が固定されていると信じたがる常見(じょうけん)という心の癖を持っています。

  • 健康は当たり前だという思い込み
  • 地位や愛する人がずっとそばにいるという前提

これらを当然の前提としているからこそ、変化が訪れたときに抵抗し、苦しみます。無常を受け入れると楽になる最大の理由は、現実に逆らう無駄な力みが抜けるからです。重力に逆らって歩き続けるよりも、重力を利用して歩くほうが楽なのと同じことです。

2. 無常は希望の言葉である

無常という言葉には、どこか寂しい響きがあるかもしれません。しかし、仏教における無常は、絶望の言葉ではなく希望の言葉です。もしこの世界が無常でなかったら、今の悩みは永遠に解決せず、失敗した自分は一生失敗したままです。すべてが変化するからこそ、私たちは今の苦境を脱することができます。

無常を受け入れるということは、今は辛くても、この状態もまた必ず過ぎ去っていくという確信を持つことです。この視点を持つだけで、心にかかっていた重圧がフッと軽くなるのを感じるはずです。

第二章:道慶の武道観:変化に即応する「居着かない心」

武道における居着きの排除は、変化の激しい現代社会をしなやかに生き抜くための具体的な技術となります。

1. 居着き(いつき)を捨て、流れと同化する

武道の専門用語に居着き(いつき)という言葉があります。これは、心や身体が特定の場所や思考、あるいは一瞬前の自分の動作に留まってしまい、次の変化に遅れてしまう状態を指します。居着いた心は、変化(無常)を拒絶しています。

武道の修練で目指すのは、水のような心です。水は器の形に合わせて自在に姿を変えますが、その本質は変わりません。無常を生きるコツは、この武道の脱、居着きの精神にあります。こうでなければならないという執着を捨て、今この瞬間に訪れる変化に対し、柔軟に、即座に、はいと受け入れて動く。この即応性こそが、楽に生きるための技術なのです。

2. 刹那(せつな)の生死と不動心

武道において、最も強い集中力が発揮されるのは生死の境です。この瞬間、武道家は明日も昨日の自分も手放しています。あるのは今、ここ、この一瞬の無常な現実だけです。不動心とは岩のように動かないことではなく、猛スピードで変化し続ける中心に、ピタリと安定している状態を指します。

沖縄の台風の目のように、周囲は激しい風雨が吹き荒れていても、中心だけは静寂そのもの。無常という激しい変化の波を否定せず、その真っ只中に身を置きながらも、自分の呼吸という軸を見失わないことが、武道と禅が教える本当の強さの正体です。

第三章:日常に活かすヒント:無常を楽しみ、心を解放する3つの作法

特別な修行をせずとも、日々の生活の中で無常の智慧を実践し、心を整えるヒントを紹介します。

1. 日常実践のヒント1:一期一会を呼吸に宿す

私たちは毎日繰り返される日常を当たり前だと思い込んでいますが、仏教の視点では二度と同じ瞬間はありません。今、吸っているその息は、あなたの人生で二度と繰り返されないこの瞬間だけの空気です。一呼吸、一呼吸をこれが最後の一息であり、最初の一息であると観じてみてください。この刹那の無常を意識するだけで、目の前の光景が驚くほど鮮やかに感じられます。

2. 日常実践のヒント2:不運に名前を付けない(空の観照)

悪いことが起きたとき、私たちは即座にそれを最悪の事態だと固定してしまいます。これが居着いた心です。不愉快な出来事に遭遇したら、心の中でああ、今はこういう縁が巡ってきたなとだけ唱えてみてください。不幸とラベルを貼って固定するのではなく、変化の途中の点として捉えるのです。水流の中の石のように、出来事を自分の中に溜め込まず、ただ通り過ぎるのを待つことが大切です。

3. 日常実践のヒント3:所有物や役職に借り物の意識を持つ

私たちが執着して苦しむのは、それらを自分の所有物だと思い込んでいるからです。あなたの健康な身体も、家族も、お金も、すべてはこの宇宙から一時的に借りているものだと考えてみてください。無常とは返却の期限が常に来ている状態です。借りている間、それを精一杯大切にし、返す時が来たら、貸してくれてありがとうと感謝して手放す。この感覚が身につくと、喪失に対する恐怖は消えます。

第四章:道慶の総括:沖縄の自然が教える「命(ぬち)どぅ宝」の真理

ここ沖縄の海を眺めていると、サンゴ礁が長い年月をかけて形成され、波に砕かれ、また新しい命を育む様子がよくわかります。沖縄の人々が大切にする命(ぬち)どぅ宝という言葉は、激しい戦火や自然災害といった残酷なまでの無常を肌で知っているからこそ行き着いた、今、ここに命が繋がっていることのかけがえのなさへの叫びです。無常とは、宇宙が私たちに与えてくれた更新という慈悲です。その自由な真理に気づいたとき、人生はどこまでも軽く、力強いものへと変わっていきます。

まとめ:無常は、あなたの心を透明にする

長文にお付き合いくださり、心より感謝申し上げます。(合掌)

無常を受け入れると楽になる理由。それは、変化を敵にするのではなく、変化そのものを味方に付け、今この瞬間に全力を注げるようになるからです。

  • 幻想を捨てる:永遠を求めず、移ろう今を愛する。
  • 居着かない:過去や未来に心を留めず、流れる水のように即応する。
  • 感謝して手放す:すべてを借り物として、縁が尽きたら静かに見送る。
無常とは、今日が二度と来ない寂しさではなく、明日が全く新しく始まるための、宇宙の優しさである。

どうぞ、今日からあなたの日常の中で、深く息を吐き、移りゆく雲や風、そしてあなた自身の心の変化を、微笑みながら眺めてみてください。

沖縄市観音寺では、定期的に坐禅会を開催し、心を調え、無常の智慧を深めたい方々を歓迎しております。人生の岐路に立ち、心が揺れ動くとき、どうぞお気軽にお越しください。

著者・道慶氏の写真
沖縄市観音寺

道慶(大畑慶高)